突き出される刃をマジェの巨大な牙が弾き返し、その口から放たれる水弾をドルヴァの黒雷が打ち砕く。
一瞬の隙もない力の応酬の中で、ティフォンとキリは言葉を交わしていた。
「確かにお前のように、龍によって苦しみや悲しみを味わう人達もいる。だが、だからと言って全ての龍が害成す存在ではないはずだ!」
「貴方は知らないのよ。龍は本来この継界に存在するはずのないもの。龍そのものがこの世界にとって異質だってことを」
ドルヴァの首をマジェの牙で押さえ、荒い息のまま言葉を続ける。
「遥か昔、龍喚士の始祖が初めて龍を召喚した。それは継界のバランスを維持するためのものだったけれど、それ以降人は狂暴な龍に怯えながら生きるしかなくなったのよ。だから私は、私達はこの世界を本来あるべき姿へと戻す。龍なき世界へと再構築する」
彼女が語ったそれは、ほとんどの者が知らない継界の歴史だった。
確かに彼女の言葉通り、圧倒的な力を持つ龍達に人々は怯え、畏怖し、その果てに争いも起こっている。龍を取り除く事で継界は本来あるべき姿へ戻るのかもしれない。
「……お前の言う通りかもしれない。だが俺は、龍の存在によって救われた者や、笑顔になった者がいることも知っているんだ」
少し離れた場所で眠るリィの姿を見遣る。彼女はガランダスの側にいたいと言った。それが彼女の幸せだった。
「全ての龍を滅ぼすということは、リィの家族を奪うということだ。……お前はリィに、自分と同じ思いをさせたいのか」
「……っ!?」
氷のように冷えていた彼女の瞳が大きく揺らぐ。
小さな少女にもう会えない自分の家族を重ね合わせたキリは、唇を強く噛みしめた。
「……なら、どうすればよかったっていうのよ」
短剣を構えたまま、キリは酷く歪んだ顔で声を張り上げる。
「全部、全部なくなったのよ! お父さんも、お母さんも、妹や弟も!! みんなで暮らした家も、大切に育てた畑も、優しかった村の人も、全部!! 全部……龍が奪っていったのよ」
残っていたのは、憎しみと悲しみ、怒りと喪失感だけ。
行き場のない感情をぶつける先を求め、仇である龍に注ぐことを教えられ、キリはそれに従った。それしか選択肢がなかったのだ。
「私の願いが誰かを悲しませるかもしれないなんて分かってる。だけどそれなら、私はどうすればよかったの。ただ泣いていればよかったの? 仕方がないことだったと受け入れればよかったの? ……そんな風に納得できるようなものじゃ、なかったのよ」
今にも泣き出しそうな様子に、ティフォンは掲げていた刃をゆっくりと下して一歩ずつ歩み寄る。
「全てを奪われたお前がどうすればよかったのか、俺にはわからない。だが、共に考えることはできる」
キリの目前で足を止める。敵が目の前にいるというのに、彼女は俯いたまま身体を動かそうとしなかった。
「……どうしてそんなことが言えるのよ。私と貴方は敵なのに」
「俺とお前はよく似ているのだろう。もし、そうであるなら、人は誰かが側にいるだけで楽になれることもあると思うから」
自分にとって、守るべき家族という存在が力をくれるように。
「俺も共に考えよう。お前がどうすればいいのかを。できれば誰も、悲しまない方法で」
龍化していない右手で、そっと彼女の頭を撫でる。
その温かさに顔を上げたキリの瞳には、涙があふれていた。
目の前の胸板に額を押し付けて声を押し殺して泣く彼女を宥めるように、ティフォンはもう一度、そっと頭を撫でた。
「……あらあら、キリちゃんたら落とされちゃいましたのね」
離れた場所で泣き崩れる同胞を眺め、クーリアが残念そうに眉尻を下げる。
「リィも止められてしまいましたし、これで残るは私とターディスのオジさまというわけですが……」
ちらりと視線を向けた先には、轟音とともに砕かれる壁と飛び散る瓦礫の中で兄弟が力をぶつけ合っていた。
「ちっとは長く遊べるようになったみてぇだな。まだバテんなよ」
「貴様のその余裕、今ここで剥ぎ取ってやる!」
ヴェルドの召喚龍ゾヌが放つ水撃を両腕で弾き飛ばしながら、ターディスが接近戦に持ち込もうと間合いを詰める。しかしそれを、しなやかな鞭と水流が阻んだ。
得意とする間合いのわずか外、中距離攻撃を軸にした動きを徹底する弟に、ターディスはにやりと口角をあげた。
「良いじゃねぇか! 随分と力をつけたもんだ。一族の爺どもも喜んでんじゃねぇのか?」
「黙れ!」
嘲るような言葉にヴェルドが声を荒げる。
「貴様は何故そう自分のためだけに行動できる!? 一族の責務も龍喚士としての矜持も忘れ、私欲のためだけに生きることができる!?」
「相変わらず石頭だなぁ、お前は。ンなモン、俺がそうしたいと思ったからに決まってんだろうが!
放たれる鞭を強引に掴み自身の間合いへと引きずり込んだターディスは、彼の額に思いっきり頭突きを叩き込む。
「責務だ矜持だ、面倒くせぇもんに縛られて生きるなんざまっぴらだぜ。たった一度の生を心のまま楽しみ尽くす。それが俺の望んだ生き方なんだよ!」
「……あちらは随分と愉しそうですわね。あの男の子もよく頑張っていますし」
「羨ましいなら、よそ見しないでアタシとの闘いに集中なさいな小娘!」
あれほど嬉しそうに戦うターディスは早々見られないと感心するクーリアに、シャゼルの荊が放たれる。それをするりと避けてみせると、彼女は盛大なため息を漏らして目前の敵に向き直った。
「ハァ……。こちらはハズレくじですわ……どうせ相手をするなら、気持ち悪い人よりもっと素敵なかたがよかったですのに」
「キィー! 毎度毎度口の減らない娘ね! もうアンタ達に勝ちの目はないんだから、悪あがきしないでさっさと諦めなさい!」
「悪あがきをしているつもりはないんですけれど……。私は別に、勝ち目がなくなっても関係ありませんもの」
クスクスと微笑んだまま、余裕を失わない彼女にシャゼルは眉を寄せる。
戦況が不利になっていることは確かだ。だが彼女は引くこともせず戦いを続けている。
……何のために?
「……まさか」
思考の末シャゼルが行き付いた結論に、クーリアは口の端で笑みを作る。
「そろそろお時間ですわ」
「……っ!?」
ティフォンに宥めなれながら落ち着きを取り戻そうとしていたキリが、何かの気配に気付き顔を上げた。己に龍を滅ぼすことを教えた者の気配と力の波動。
それらが向く先を辿ったキリは、目の前にいたティフォンを両腕で思いっきり突き飛ばした。
「危ない!」
「なっ……!?」
衝撃に体勢を崩し、どうしたのかと顔を上げた彼が目にしたもの。
それは闇の一閃に身体を貫かれたキリの姿だった。
ドサリと細い身体が床に倒れる。
傷から滲む赤色に目を見開き、すぐに彼女の側へと駆け寄り声をかけた。
「おい、しっかりしろ!」
「……う……」
「何故、俺を庇って……」
小さく開かれた彼女の口から呻き声と熱い息が吐きだされた。
傷の深さに眉を寄せ、ティフォンは術を放った者へと視線を向ける。
「……っ!?」
そこにいたのは、蠢く漆黒の影……ラジョアだった。
広間にいた全員が、彼の放つ魔力によって重圧に膝をつく中、クーリアはワンピースの裾を掴み、丁寧にお辞儀をしてみせた。
「時間稼ぎにお付き合い頂きありがとうございました。おかげでとても助かりましたわ」
「アンタ……初めからそのつもりだったのね」
「ふふ、ちゃんと全滅させるつもりで戦っていましたわよ。そうならなかったのは貴方達が頑張ったから。……まぁ、それも無駄に終わるわけなのですけれど」
嘲笑うような口ぶりで告げた彼女に、ラジョアの背後から現れたディステルが冷ややかな声をかけた。
「……遊戯は終わりだ、龍を狩る者達」
「ディステル……貴方まで現れたということは」
「貴様が今考えているとおりだ。じきに狂幻魔の創書が終わる。私はその後の準備をしに行くまで」
ディステルが宙に手をかざすと、その場に二つの大きな水晶が現れる。
その中には、静かに眠るロミアと6号の姿があった。
「力を消耗した貴様たちは、我等に追いつくことも止めることもできまい。大人しくここで魔導書が完成する時を待つがいい」
それだけを告げて、ディステルとラジョアは城の奥へと姿を消した。
彼等の言葉に、リクウは焦りを滲ませる。
「いけない……このままでは本当に間に合わなくなる。ニースさん、僕は先へ進みます」
「あらダメですわよ、勝手に動かれては」
「……邪魔をしないでいただけませんか」
「ふふ、それは難しいご相談ですわ。だってターディスのオジさまはあの男の子と遊んでばっかりみたいですもの。残った私が頑張って足止めしなくてはいけないでしょう?」
(……なんとかここを突破しなければ)
行く手を阻むクーリアを前に、大きく翼を広げ機を窺う。
そんな彼の前に、召喚龍を従えたシャゼルが躍り出た。
「アンタの相手はアタシだっていい加減理解しなさい小娘!」
「また貴方なんですの……そろそろ飽きてきたのですけれど……」
嫌そうな顔をする彼女に苛立ちを見せながら、シャゼルは後ろで戸惑いの顔を見せるリクウに言葉を投げかける。
「あの小娘はアタシが相手をするわ。アンタはさっさと先に進みなさい。……ニースちゃん、そんなところで銃構えてないで、アナタも行くのよ!」
「私もか!?」
「当たり前でしょ!? 残る気でいたのがビックリよ!」
シャゼルと同じくクーリアの相手をしようと戦闘態勢に入っていたニースが素っ頓狂な声を上げる。
「いや、だがお前達を残していくわけには……」
「アンタは隊長なんだから、この場は部下を信頼しなさいよ! いいから馬鹿なこと言ってないでさっさと行きなさいな!」
「シャゼル……わかった、ここは任せる!」
背中を押され、ニースは構えていた銃を降ろして龍を召喚しその背に飛び乗った。
「行こうリクウ殿!」
「わ、わかりました……!」
シャゼルがリクウ達を先へ進ませようとする中、重傷を負ったキリを抱えたティフォンの側に、エンラとシルヴィが駆け寄った。
「その娘は妾が引き取ろう。ここで命を落とされては、あの時の説教の礼もできぬからの」
キリの身体を抱き寄せたエンラは、治癒の龍を召喚し彼女の傷口を癒していく。
その様相を見つめるティフォンに、シルヴィがそっと声をかけた。
「ここは私が守る。貴方もリクウと一緒に、先に進んで」
彼女の申し出に、ティフォンは顔を上げて周囲を見渡す。
敵は直属部隊が押さえ、キリにはこの二人が、気を失ったリィにはラシオスとリューネが付いている。
ティフォンは再び剣を取り立ち上がった。
「……後を頼む」
天城の最奥。
静寂が満たすその空間に佇む白幻魔。
その周囲に浮かぶ龍覚印の魔力を集束させ、彼女はゆっくりと最後の文字を書へ刻み込んだ。
『……創書、完了』
しっかり予習するんだズオ(`・ω・´)